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猫好きゲイ男子のひとりごと。

「誇りある本質主義者」運動を企むゲイの文系バカ大学生が徒然なるままに考えを表明するブログ。

同性愛は病気なのか,そうでないならばなぜそうでないのか(2.5)

 この記事「同性愛は病気なのか,そうでないならばなぜそうでないのか」は1記事では完結していません。まずは<目次>をご覧いただき,そちらから皆さん各自気になる記事をお読みになって下さい。

自然主義的誤謬(2.5)

自然主義的誤謬(2.5.1)

 ところが,この「可変的」な文化を変えるためにこそ「普遍的」かつ「不変的」な「自然」に訴える必要がある,というのは一見もっともらしく聞こえるし,そうだそうだと言いたいところなのであるが,ことはそれほど単純ではない。

 生物学関係の一般啓蒙書を読んでいると,しばしば出くわす言葉に自然主義的誤謬」というものがある。この考え方の原型はイギリスの18世紀の哲学者デイヴィッド・ヒューム(David Hume, 1711-1776)の『人間本性論』の中に確認され,後に哲学者ジョージ・エドワード・ムーア(George Edward Moore, 1873-1958)によって「自然主義的誤謬(naturalistic fallacy)」*1として定式化された*2。これは「自然的な性質や関係からある規範を導いてはいけない」,言い換えれば,「人間の一般的な性質がこう「である」からといって,そうである「べし」とは必ずしもいえない」*3ということを指す言葉であるが,より分かりやすく明快に書かれていると思うものを以下に引用しよう。著名なオランダの動物行動学者フランス・ドゥ・ヴァールの倫理学的観点からも優れた洞察に富む著作利己的なサル、他人を思いやるサル―モラルはなぜ生まれたのか』からの引用である。このドゥ・ヴァールについては後で再び触れることになる。

自然から倫理規範を引き出そうとするのは,とても危険なことだ。生物学者は物事の成り立ちを説明したり,場合によっては人間の性質を詳しく分析するかもしれないが,行動の典型的な形や頻度(「正常」かどうかを統計的な意味で判断する)と,行動の評価(道徳的な判断)のあいだには,確かな関連性などないのである。……自然から何らかの規範を引きだそうとする試みは,「自然主義的誤信」と呼ばれており,いまにはじまった話ではない。物事の状態を表す「である」を,物事のあるべき姿を表す「であるべきだ」に移しかえることは不可能なのだ。*4

なぜ生物学者が自然主義的誤謬に言及するのか(2.5.3)

 では,生物学者はなぜわざわざこの自然主義的誤謬の話に言及するのか。それは歴史上,「生物学的事実」と称して様々な差別の根拠に科学が動員されてきた過去があるがゆえにほかならない。たとえば進化生物学者のスティーブン・ジェイ・グールド(Stephen Jay Gould, 1941-2002)による『人間の測りまちがい―差別の科学史』は,そうした科学の側面を描く著作として知られる。それゆえ,人文・社会科学周辺の人々には警戒感も強く,たとえば社会生物学者のエドワード・オズボーン・ウィルソン(Edward Osborne Wilson, 1929-)は,その数多くの研究者たちの研究成果を巧みにまとめた優れた大著『社会生物学』の中で,ごくわずか人間にも言及するということをしてしまったがために,実際にはリベラルな考えの持ち主だったのにもかかわらず,フェミニストの女性たちに水を浴びせかけられるという憂き目を見た*5。生物学周辺の研究者たちはこうした警戒感を理解しているがゆえにわざわざ予防線を張っているのである。私たちに差別を正当化しようという意図はありませんよ,とアピールしているのだ。そしてこの自然主義的誤謬の考え方を積極的に受け入れ,たとえどんな性差の存在が指摘されようともなんら恐るるに足りない,という立場を示している*6社会学者も存在し,進化生物学にも一定の理解を示す加藤秀一はその1人である。

 ただ,ここで極めて不都合な壁に直面するのは,先に見た「可変的」な文化を変えるためにこそ「普遍的」かつ「不変的」な「自然」に訴えるという戦略は,まさにこの自然主義的誤謬を犯すことにほかならないということだ。生物学的事実が差別の根拠とされるときには「それは自然主義的誤謬だ」と言って退け,逆に既存の差別を打ち破るのに都合が良い生物学的事実があるときにはそれを積極的に活用するというのはご都合主義の二重基準にほかならない。ところがこうした二重基準はかなり多く存在する。このことを次に見てみよう。
 

 

*1:自然主義的誤謬(naturalistic fallacy)の邦訳語には「自然主義的誤謬」,「自然主義的誤信」,「自然主義の誤謬」など乱れがある。

*2:Ridley, M., 1997, The Origins of Virtue: Human Instincts and the Evolution of Cooperation, Experience and What Makes Us Human, New York: Viking.(=2000,岸由二監修・古川奈々子訳『徳の起源―他人をおもいやる遺伝子翔泳社.)

*3:小田亮・五百部裕編, 2013,『心と行動の進化を探るー人間行動進化学入門』朝倉書店, 33-34

*4:de Waal, F., 1996, Good Natured: The Origins of Right and Wrong in Humans and Other Animals, Cambridge: Harvard University Press.(=1998,西田利貞・藤井留美訳『利己的なサル、他人を思いやるサル―モラルはなぜ生まれたのか草思社, 69-70)

*5:Alcock, J., 2003, The Triumph of Sociobiology, Oxford, UK: Oxford University Press.(=2004, 長谷川眞理子訳『社会生物学の勝利―批判者たちはどこで誤ったか新曜社.)

*6:加藤秀一, 2006b,「ジェンダーと進化生物学」江原由美子山崎敬一編『ジェンダーと社会理論有斐閣.