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猫好きゲイ男子のひとりごと。

「誇りある本質主義者」運動を企むゲイの文系バカ大学生が徒然なるままに考えを表明するブログ。

同性愛は病気なのか,そうでないならばなぜそうでないのか(2.4)

 この記事「同性愛は病気なのか,そうでないならばなぜそうでないのか」は1記事では完結していません。まずは<目次>をご覧いただき,そちらから皆さん各自気になる記事をお読みになって下さい。

本質主義の果たしうる役割(2.4)

マグヌス・ヒルシュフェルト(2.4.1)*1

 マグヌス・ヒルシュフェルト(Magnus Hirschfeld, 1868-1935)はユダヤ人でドイツの性科学者であった。彼は1897年に世界初の同性愛者の人権擁護団体「科学的-人道的委員会Wissenschaftlich-humanitäre Komitee (WhK)」を組織し,男性間の性行為を2年以下の懲役刑とした当時のドイツ帝国刑法(1871年)175条撤廃のために奔走した,自身も同性愛者の人物である。だが,社会学のゲイ・スタディーズの文脈において,彼について肯定的に記述されることは少ない。というのは「物事には,容易には変化しがたい普遍的な本質がある」*2と考える本質主義をその批判の対象とする構築主義からすると,同性愛やバイセクシュアリティの先天的な基礎を主張した彼の立場は「本質主義」に他ならないからである。だが,今日において彼の業績に対して,ただ「あれは誤ったアプローチであった」と消極的な評価を下すことに我々は極めて慎重な態度をとらねばなるまい。単純に性科学は「本質主義」であり,今日の私たちの「構築主義」よりも劣っているという評価はできないのである。彼の正当な評価は,なぜ彼が同性愛の先天的基礎に訴えるというアプローチを採用せねばならなかったのかということを考えることによって初めて可能になるのである。

ピュシスとノモス(2.4.2)*3

 「同性愛は病気なのか」という問いに対して,構築主義を好む人々は,「同性愛」の捉え方が時代や社会によって異なるということを指摘して得意気である。そのような相対性にも関わらず,同性愛の先天性や生物学的基礎といった本質的特性を探求することは愚かなことだと。しかしながら,ヒルシュフェルトを評価しないそのような人々の理解とは裏腹に,彼とてそんな構築性は十分に理解していたというのは驚くべきことであろうか。なぜ彼は同性愛の先天的基礎を主張せねばならなかったのか。これを理解するためには,紀元前4-6世紀に古代ギリシアの〈ソクラテス以前の思想家たち〉(physiologoi)が共通して論じたピュシス(physis)とそれに対置されるものとしてのノモス(nomos)について知らねばならない。

 このギリシア語のピュシス(physis)は,ラテン語ナトゥーラ(natura),英語のnatureに対応するものであり,「自然」と訳すことができるが,ここでの意味は「本性」「真の性質」「真の在り方」という意味である。これはあらゆるものに通底する真の在り方,世界全体に秩序や調和をもたらす原理のようなものを指し,人間の取り決めた法(ノモス, nomos)と対比して不文の法(agraphos nomos)とも理解される。このとき,人間もまた自然の一部であるから人間はこの「自然」に従って生きることが望ましい。ところが人間はしばしば自然から逸脱し,人間の定めた法,実定法たるノモスがピュシスと対立することがあるのである。そして〈ソクラテス以前の思想家たち〉はこのような場合,修正されるべきはノモスの方であると考えた。なぜならノモスがピュシスと齟齬を生じているということはすなわち人間の万物の本性からの乖離の現れにほかならないからである。

「科学によって正義へ(per scientiam ad justitiam)」(2.4.3)*4*5

 そしてこのような思想的背景を踏まえたとき,なぜヒルシュフェルトが同性愛の先天的基礎を主張せねばならなかったのかが理解できるのである。同性愛に先天的基礎がある,つまり同性愛者が一定の割合で必ず生まれるということは,それが自然の摂理であるということを示している。そしてこのように自然(ピュシス, physis)が生み出す存在をノモスたる刑法175条によって迫害することは正当なことであるのか。答えは当然"否"なのである。人間の構築物たる刑法175条を否定するのに,「同性愛」の社会的な構築性を論じたところで何の意味もないのであり,文化を打ち壊すためにこそ「自然」にそして科学に訴える必要があったのである。そして「可変的」な文化を変えるためにこそ「普遍的」かつ「不変的」な「自然」が重要であるということは後で自然主義的誤謬」に触れるにあたっても再びたち戻ることになるだろう。ヒルシュフェルトの性科学研究所の記念碑には彼の次のような信条がラテン語で刻まれている。「科学によって正義へ(per scientiam ad justitiam)」

 

 

 

*1:河口和也・風間孝, 2010,『同性愛と異性愛岩波書店.

*2:赤川学, 2001,「言説分析と構築主義上野千鶴子編『構築主義とは何か勁草書房, 64

*3:木田元須田朗編, 2016,『基礎講座:哲学』筑摩書房.

*4:檜垣立哉春日直樹市野川容孝, 2013,「<座談会> 来たるべき生権力論のために」『思想』1066: 31-32.

*5:市野川容孝, 2003b,「2002年読書アンケートー2 Magnus Hirschfeld, Die Homosexualität des Mannes und des Weibes. 1914(→1984, Walter de Gruyter)」『みすず』502: 91-92