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猫好きゲイ男子のひとりごと。

「誇りある本質主義者」運動を企むゲイの文系バカ大学生が徒然なるままに考えを表明するブログ。

同性愛は病気なのか,そうでないならばなぜそうでないのか(1.2)

同性愛は病気なのか

 この記事「同性愛は病気なのか,そうでないならばなぜそうでないのか」は1記事では完結していません。まずは<目次>をご覧いただき,そちらから皆さん各自気になる記事をお読みになって下さい。

精神医学における現在の立場(1.2)

「同性愛は病気なのか」という問い(1.2.1)

 性的マイノリティに対する認知は,いわゆる"LGBT"という言葉と共に急速に広まった。しかし性的マイノリティの権利拡大をめぐっては,そうした性のあり方が「生物学的に異常」であるとの声が上がることがある*1。そしてそのとき私たちは「同性愛は病気なのか」という問いに直面するのだ。「同性愛は病気なのかもしれない」という感覚は,当事者の若者の以下のようなツイートに印象的に表れている*2

「同性愛は病気ではない」ということになっている(1.2.2)

 結論を先に言うと,現在の精神医学の領域における「同性愛は病気なのか」という問いに対する答えは,NOだ。精神医学の学術雑誌『精神科治療学』の2016年8月号の中で精神科医の針間克己氏は以下のように強調している*3

ここまでにすでに記したことであるが,最重要項なので再確認する。LGBT精神疾患ではない。本誌,「精神科治療学」がLGBTの特集を組んでいるが,それは「LGBT精神疾患として治療する」という趣旨ではない。LGについては,脱精神病理化の運動を受け,精神医学会の議論の中で到達した「精神疾患ではない」と理解されるものである。Bはそもそも,精神疾患ではない。Tは議論の最中であるが,少なくともトランスジェンダーという言葉自体は,精神疾患を意味するものではない。トランスジェンダーの中で一部の苦悩が著しい者や,身体治療を求める者が,医学的疾患として扱われるのである。

  私もこうした現在の認識を否定して「同性愛は病気である」と強弁する気は全くない。ただ,上の引用にもある通り同性愛は現在精神疾患とは見なされませんが,こうした認識は脱病理化の運動を経て広まったもので,かつては同性愛が精神疾患だと見なされていた時期もある。

 そして,このようなことを踏まえたとき生じるのは次のような疑問だ。「では,どのような同性愛に対する認識の変化があったから,同性愛が精神疾患から外されることになったのか。何か同性愛に関して新たな知見でもあったのか」と。しかしながら,「同性愛は病気ではない」と書いている本は多々ありますが,それがなぜか詳述していることは滅多にありません。少なくとも,同性愛の脱病理化を「同性愛者の活動家たちが勝ち取った最大の成功」*4などと言って手放しに喜んでいるのを読んでも,とりあえず「同性愛は病気ではない」という結論が都合の良いものだから,さして深く考えることもなくその結論を受け入れているようにしか私には見えない。

 ただ,社会学ジェンダー関係の人々が,そのような態度を取っているのも私としても心当たりがないわけではない。というのも,彼らがいつも大好きなように「ゲイ」だの何だの言う性的アイデンティティのカテゴリーは社会的に構築!!されたものであって,そうしたものの原因を探る試みは愚かな!ことであるらしいからだ。

…とちょっと無駄に挑発的な書き方をしたところでこの記事はこれくらいで一旦切って,つづき(同性愛は病気なのか,そうでないならばなぜそうでないのか(2) - 社会学者が同性愛の自然科学的研究に冷たいのはなぜかって話。)は後で書くことにしよう。

redqueen.hatenablog.com

*1:たとえば2015年の11月と12月にそれぞれ問題となった,神奈川県海老名市の鶴指真澄市議(71)の不適切ツイートや,岐阜県の藤墳守県議(74)の発言はその典型だろう。

*2:1番目のツイートは同性愛と性同一性障害とを混同していますが,両者は全く違うものだ。ただ,ここではそんなことは枝葉末節であり,ここに書かれているとまどいの気持ちこそが大切である。

*3:針間克己, 2016,「LGBTと精神医学」『精神科治療学』31(8): 967-971.〈流〉◯

*4:河口和也・風間孝, 2010,『同性愛と異性愛岩波書店, 90.〈流〉◯